引き際
清原が、昨日695日ぶりの一軍復帰した。
ここ最近、桑田との練習や復帰会見等々、今ひとつ活気のないプロ野球界の話題作りに貢献している。
この記事について、一言書くか書くまいかずっと悩んでいたが、やはり書かずにはいられなかった。
それは、人生における『引き際』についての考察だ。
この3月末以降、すっかりメディアから姿を消した細木数子氏はまだ記憶に新しいだろう。
一世を風靡した人は必ず最後マスコミにたたかれると本人も自覚していたが、いろいろバッシングは浴びたものの、彼女の引き際はとても潔かったと今になって思うのである。
他にも、笑点の大喜利で名司会を勤め上げた三遊亭圓楽氏なども格好良かった。
半年の稽古をしてもやはり本番は納得がいかず、引退を表明した。
人生において、自分はいつまで継続できるのか、逆にいつ身を引くべきか、多かれ少なかれ誰しもがぶちあたる壁の一つだろう。
今回の清原の件に関して言えば、彼が体にむち打ちながら40歳にして現役で頑張ることにエールを送るもの、励まされるものも、もちろん数多くいることだろう。
問題なのはこれからだ。
このあと、いつどのような形で身を引くのか、男清原の生き様を見届けていきたい。
日本人だけかもしれないが、引き際が綺麗な方が、後世まで語り継がれることが多い気がするのは私だけだろうか。
なるべく粘り強く、自分の生き方に正直でありたいが、引き際が未練たらしい姿だけは見せたくないなぁ。