数学物語 2

takashi/ 2月 2, 2008/ お仕事

漢数字(中国23数)の最高位が「載」でその上に「極」があります。中国固有のものはここまででしたが、「恒河沙」以降は後世付け加えたもので、仏教用語やインド数量からきています。例えば、「恒河沙」は恒河(ガンジス川。一説には黄河)にある砂の数を表しているようで、きわめて多いもののたとえだそうです。確かに川の砂の数を数えるなんて気の遠くなるような作業ですものね。
「無量大数」は10の88乗(10を88回かけた数)とのこと。一万は10を4回かけたものですから、88回というと相当大きな数といえますね。だって0が88個もつく数字なんて見たことがありますか。どこで使うのでしょうね。でもロマンを感じます。
これから「兆」以上の位の意味について知っている範囲でふれていきます。

*兆 ちょう(1012)中国23数の第15。
亀甲を焼いてできる割れ目という意味で、他にも墓場の境界、人口の多い街との意味もあります。

*京 けい(1016)中国23数の第16。
とても盛えている街のことを表します。発音こそ違いますが皆さんも良くご存知の北京、南京などもその現れです。そこに住む人口の多いことも意味します。

*垓 がい(1020)中国23数の第17。
国土の果て、つまりあまりに広い土地の様子を表します。

*   し、または じょ(1024)
こちらも土地の広いさまを表しています。この漢字は中国数詞の「禾市」の写し誤りであろうという説が有力で、他にも秭などがあります。

*穣 じょう(1028)
日本語でも「豊穣」などという言葉がありますが、この穣は穀物が限り無く実った広大な土地の様子を表す言葉だそうです。

*溝 こう(1032)中国23数の第20。
これまでの地の意を離れて、ここからは水に関係のある言葉が続くようです。溝は流れる水の多い様子という意味です。どこまでも続く流れという意味でしょうか。

*澗 かん(1036)中国23数の第21。
尽きぬ谷川、渓流の水のとどまらないさまという意味です。水の勢いまで感じますね。

*正 せい(1040)中国23数の第22。
呼んで字の如し、まっすぐ限りないさまを表します。どこまでもまっすぐ正しくありたいものです。

*載 さい(1044)中国23数の第23。
「千載一遇」という言葉のあるあの載。地球上に銭を積んでのりきる最大限のという意味だそうです。千載一遇のチャンスは1047回に一度なんて…。

*極 ごく(1048)中国数詞の最大数。
想像にたやすいでしょう。無限大、究極、宇宙の果てのという意味です。初期にはここまでしかありませんでしたが、以後は後世に付け加えられた位です。

*恒河沙 ごうがしゃ(1052  1056の説も)仏教用語
ガンジス河の砂沙のごとく多数のという意味です。インドに流れるガンジス川は約 2510kmあり,北海道の札幌市から沖縄の八重山諸島までと同じくらいの長さというから驚きです。流域面積は 97万 5900km2にもなる。なんと日本全体の面積の2.6倍にもなるそうですから、そのガンジス川のひとつぶの砂を1つ1つ数えるなんて途方にくれてしまいますね。

*阿僧祗 (祇) あそうぎ(1056  1064の説も)インドの数量単位。
極めて巨大で数えきれないという仏教のことばで、数えられないということから,無量や無数のを表した言葉だそうです。

*那由他(多) なゆた(1060  1072の説も)インドの数量単位。
那だけでも大きいこと、きわめて大きい数の意味があるそうです。仏教のことばで、古代インドの数の単位で、とにかくとても大きな数量です。

*不可思議 ふかしぎ(1064  1080の説も)仏教用語。
言葉で言い表わしたり心で推し量ることのできない境界。言語に絶するほど無量の数というなんとも無念の人間の力には到底及ばない大きさのようです。阿弥陀仏(あみだぶつ)にすがることを表わした「南無不可思議光如来」を九字名号のなかに入っている言葉。

*無量大数 むりょうたいすう(1068  1088の説も)仏教用語。
おなじみのこの数。『塵劫記』の初期の版には「無量大数」は一つの数でしたが、後に無量と大数との間にキズのある版があり、そのキズが次第に成長して、ついに無量と大数の二数となったという説もあります。「無量」は空間的に限られていない無限。「大数」小数に対する大数の総称。大きい数の意。つまり無量大数とは量のはかり知れないほど多い大きい数という意味にでもなりましょうか。

注 恒河沙から無量大数までを8桁とびとする説もありますので両方を書いておきました。

最後に『塵劫記(じんこうき)』について一言。
吉田光由の著したこの本は、数学書でありながら十返舎一九、井原西鶴も遠く及ばないほど、江戸時代から明治にかけての人々に愛読・愛用され、一家に一冊はあるほど普及したそうです。何度も書き換えられたり「~塵劫記」「塵劫~」などというような本が登場するほどの人気ぶりでした。
その塵劫記の名前の由来についてお話したいと思います。仏教のことばに「塵点劫(じんてんごう)」というものがあります。とてつもなく長い時間のたとえだそうです。たとえば、塵点劫は、わたしたちの世界を10億集めて、これをぜんぶ粉にして、その粉の一つぶずつを別の世界の一つずつにつけていく。この粉がなくなったとき、その世界をまた粉にして、その粉一つぶずつを一劫として数えたものが塵点劫ということです。塵劫は、塵点劫を簡単に言った言い方ですから、塵劫記という名前は、塵劫たっても変わらない真理の書という意味になりますね。