PTA廃止
杉並区立和田中学校がまたやってくれました。
リクルート出身の藤原校長は、バッサバッサと公教育にメスを入れています。
皆さんも記憶に新しいであろう、『夜スペシャル』
教室を利用した、塾講師による有料受験対策である。
他にも、藤原校長は、土曜日生徒が教室で自習できる『土曜寺子屋(ドテラ)』
放課後図書室利用できるようにする自主管理制度(これは、他校もやっているところが多いと思うが)
さて、今回の提案は『PTA廃止』
思い切ったもんだ。
ただ廃止だけでは能がない。
和田中は別の組織『地域本部』をすでに立ち上げている。
これは、会社を退職した地域住民、主婦、大学生らで形成されている、学校の支援活動をする組織だという。
ここに、保護者も参加という形をとるようだ。
藤原校長は「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」と言っている。
そもそもPTAとは、第二次大戦後GHQの指導で導入されたもの。
現状の日本には確かにあっていないのかもしれない。
推察するに、両親の形態も多様化し、様々な家庭環境の子供たちが増え、どうにも「親と教師」という関係だけでは公教育を成り立たせるのは難しいのだろう。
その上、PTAは無償。
それが『地域本部』は交通費謝礼等をだすことも検討されているという。
貴重な時間を子供たちのためとはいえ、学校に協力するのであるから、ごくわずかでも報酬をいただけると言うのは、よりやる気も出るし、おざなりな協力の仕方はできなくなるであろう。
とまあ、ここまで書いてきたが、私の感想は、わかる部分もあるが、どちらかと言うと「反対」である。
私の周りには教員仲間が多いので、あえて彼らの話も踏まえて。
担任になるとどうしても親の協力が必要になるときがある。
都内の小学校に勤務する友人は、1クラス10人程度しかいないのに、親がまとまらないとなげいていた。
保護者会で役員が決まらないのはどの学校でもよくある話だろう。
「私も働いているのよ。」と面倒に思う親も少なくない。
親や子が多様化したから親はやる気のある人だけで、あとは地域の方に任せるという考え方に反対なのだ。
親同士の交流が多少でもないと、子供たちの存在が一人ひとりにまで目が行き届かなくなるように思えてならない。
ある親が「あの子は、中学にきてまだおとなしいようですけど、小学校のころ活躍していましたよ」というヒントによって、担任も見えなかった部分から、子どもとの交流が増えていくというのは担任の経験されている人なら一度や二度はあるだろう。
○○君の親、○○さんとこの子という概念でつながっていかなかったら、必ず見落とす子供が出てきてしまう。
大人の誰かが、子供の名前やその子の人となりや家庭の様子を把握してるというのはものすごく大事であると思う。
地域の方に支援していただくのは本当にありがたい。
ただ、もう少しPTAの存在意義を考えてほしい。
PTAが主で地域本部がそれに付随する形ではダメだったのだろうか。
自分の親が学校に来るうれしはずかしの気分はなんともいえない。
親も、それを家庭に持ち帰り、「お前、学校でこうなんだな。」とほめてあげていいではないか。
どんな仕事よりも、子育ては大切だと思うが、いかがか。