Understanding Information Design

takashi/ 2月 27, 2001/ お仕事

Understanding Information Design
はじめに
グラフィック・デザインをするにあたりRGB(減色法)のメディアであるテレビ、インターネット、マルチメディアなどで表現されるディスプレイと、CMYK(加色法)で表現される新聞、本、ポスターなどの印刷メディアがあります。そんな中、情報化時代の中、メディアの選択でより良い振り分けが行われる。メディアの中のオブジェクトは情報は長短所がある。長所が消費者の選択する理由でないかと思った。

1デザインの流れ

1ー1.人がコミュニケーションを行う
人が頭の中で考えている事を第3者に伝えようとする時に言葉だけではなかなか伝わらない。その時に言葉とプラス・アルファーとしてビジュアルを持ち出すとより第三者に理解されやすい。旧石器時代初期(BC15,000)から新石器時代(BC10,000頃)の南フランス地方ラスコの洞窟壁画に自己満足なのかその時代の人に何だかのコミュニケーションを図ろうと思ったのだろうか解らないが、何だかのコミュニケーションを図ろうとしたのは確実だと思う。私の憶測であるが当時は共通言語が無くジェスチャーでコミュニケーションがされていたと思う。そのためより伝えるためビジュアル=落書き、略画などが使われたのだろう。

1ー2.テキストとビジュアルの融合
人は哺乳類の性でつい群がってしまう。そんな中で動物は権力欲が思考的、無意識的にリーダに成ろうとする。そして、統括などすると自分の権力を誇示しようと思い碑文など残そうとする。初期シュメール(BC3750頃)は、顔料などで表示すると雨で顔料などが流れたりし、保存が出来ないと思っただろう。そこで、ある程度保存が出来る泥板石に彫り込んで表記されたブラウ・モニュメントがある。ブラウ・モニュメントは次の世代などに伝えるため残すという行為がはたらいたと思う。そして、このブラウ・モニュメントには絵と文字の組み合わせられたモノのである。いわば、より理解されやすくする為にビジュアルとテキストが融合したモノだと思う。この頃から絵と文字は石柱など碑文などのモノは伝える為に人に注意、注目を促すための看板の意としたモニュメントが増えてきた。

1ー3.告知としての広告
広く人々に知らせるために広告という方法論がある。時はBC1000頃のエジプトで逃げ出した奴隷を早急に捜しだすために日常によく使われるパピルスに書き、大衆に告知した。これが広告の原点の告知の最初だと言われいる。まだ、この頃は道徳観はあまり無く人もモノとしてしか見れず、自分の所有物を取り戻すためにこの様な行為がされたと思う。

1ー4.告知からの大衆化
聖書などの写本は1枚1枚丁寧に教会の書き写す専門職の人がいた。豪華本はなど重要書類などは手作業で行われていた。そして、1440年になると広く大衆に向けて木版がによる印刷が行われた。やはり、木版だと製版と耐久性を考えると紙に刷る数は限られている。1440年にはグーテンベルクにより活版印刷技術が発明され、時間のスピードと大量印刷が可能になった。勿論ながら木版よりも部数を遥かに上回り広く民衆に告知などが出来たと思う。余談だが大日本印刷の印刷博物館で見た限りグーテンベルクも実験段階には聖書を最初に刷ったようだ。

1ー5.職人からデザイナーへ
ウイリアム・モリス(1834-96)によるアーツ・アンド・クラフツ運動を起こした。アーツ・アンド・クラフツ運動を起こした内容は目的、素材、生産方法に純粋であり、デザイナーいわゆる印刷工の労働者のアイデンティティ(Identity)が表現されている事を求めた。アーツ・アンド・クラフツ運動の以前はデザインおよびデザイナーは存在しなかった。それはどういう事かと言うと印刷工員が図案を考えており、いわば、ミケランジェロ(1475-1564)の立場と同様に彫塑の職人であったと同様だった。アーツ・アンド・クラフツ運動により印刷工員やアーティストなどが個々のアイデンティティを売り物として大衆に広める手段の表現としてデザイン・ワークをするようになる。

1-6.受けてにイメージを伝える
フランスでジュール・シェレ(1836-1933)とウジューヌ・グラッセによりビクトリア王朝からの様式を緩やかに移行してアール・ヌーヴォー様式が(1890-1910頃)が開花した。自然界の植物を見事までに装飾美化した。1893年にはフランク・ロイド・ライト(1867-1957)はアール・ヌーヴォーの曲線的な装飾美に直線的要素を取り入れる事により平面的だったアール・ヌーヴォーに空間要素を取り入れた。ライトの影響でチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928)やウィーン分離派のダスタフ・クリムト(1862-1918 第1回ウィーン分離派展のポスターを手掛けた)などいた。アール・ヌーヴォーにより受け手側のイメージが華やかな情景を持てる様になり、モダン・デザインを確立していった。

1ー7.アートからの思考の取り入れ
アフリカの彫刻で見る様にパブロ・ピカソ(1881-1973)は幾何学的な表現により『アヴィニョンの娘たち』1907年に発表しキュビスムの発端となった。デザインでのキュビスムの影響は記号化と基準寸法によるグリット概念を定着させ黄金比率などの採用を促した。
イタリアのイタリア人詩人であるフィリップ・マリネッティ(1876-1944)が1909年2月20日フランス新聞紙『ル・フィガロ』紙上で『未来派宣言』を掲載して天体、飛行機、列車、波、爆薬、分子、原子の速度などの要素を提唱し伝統的な装飾美を呪縛から切りはなされた。フィリップが詩人だけにエディトリアル・デザインなどにも深く影響された。
詩人フーゴ・バル(1886-1927)がスイスのチューリッヒにキャバレー・ヴォルテールをかまえて、若い詩人、画家、音楽家の集まる場所を提供し、反芸術的、強く否定的、破壊的性格を提唱した。そして、ハンガリーの詩人トリスタン・ツァーラ(1896-1963)が1917年7月に衝撃と反抗と無意味のコンセプトを持った『ダダ』誌を発行した。ダダをベースにフランスの若い作家や詩人などのグループにより1924年にパリで『現在の背面にある、現実世界よりもっと現実世界よりもっと現実的なもの』を述べた。
未来派やダダによりグラフィック・デザインは点、線、形、素材感に影響され特にタイポグラフィーとレイアウトなどに影響を及ぼした。勿論ながらデザインの中にアート、すなわち思考を取り入れる事により制作者の個性化が強調されてきた。
グラフィック・デザイン全史  著 フィリップ・B・メッグズ 日本語版監修 藤田治彦 P283 L2

1ー8.デザイン教育
産業主義の世間にグロピウスは視覚的にデザインが問題だった事にデザインと産業技術を融合するためにドイツでデザイン学校バウハウス(1919ー33)を立ち上げた。機械文明の中、デザインの運動思想が吟味され機能デザインと機械生産の問題を直視し、美を追求した教育方針だった。また、ピート・モンドリアン(1872ー1944)により幾何学的抽象芸術理論が提唱され1920年にバウハウスから新造形主義として論集に刊行された。その事により全てのデザインジャンルに影響を及ぼした。グラフィックでは構成も重視されたがタイポグラフィにも深く影響しフーツラ書体などのニュー・タイポグラフィを築いた。後期バウハウスは写真技術に貢献したが、1933年に閉鎖された。その時のほとんどの教員はアメリカへ渡り、ニューヨーク派、、ニュー・アドヴァタイジングなどに貢献した。

1ー9.シンボルがテキストになる。
1950年代にアメリカでマーケティングとして経営戦略を考えられた。内部と外部の消費者に企業としてのアイデンティティと社内アイデンティティとの再認識と再構築を社会に明確に打ち出した。この事をコーポレイト・アイデンティティ(Corporate Identity)と言い、広く消費者に企業知名度を上げようとした。デザインの発祥はとしてはペータ・ベーレンス(1868-1940)が電気メーカーのAEGのCIだと言われている。1950年頃のアメリカではIBMのロゴが教科書とされている。1990年には日本の企業がブームになった。

1ー10.コンセプト・デザイン
制作段階で綿密な計画をし内容を明解にし、表示もより説明的にする。そして、レイアウトをするにあたりグリット・システムを取り入れビジュアルの配置にもデザイン・ワークもスピードが速くなった。ビジュアルは目のある場所の横や目線の先にキャッチ・コピーなどを配置し、より説明的にデザインしていくコンセプト・デザインが今現在もっとも主流になっているデザインである。テキストがビジュアルを補足する要素として、日本では1960年代に百貨店などの広告なで文学とのコラボレーションとしてライターなどが注目される様になった。土屋耕一や野坂昭如などが知られている。そして、浅葉克己と糸井重里のコンビなどが活躍していた。

2資本主義

2ー1企業として
現在の資本主義の始まりを考えていくと、どこでも有る庭の何の変哲もない石を販売する時どの様にしたら石を売る事が出来るかというを考え方で始まる。この様な時に石を提供者と消費者の欲求により市場という関係がもたらされる。この時に提供者は消費者の市場調査が必要になる。提供者は消費者、経済、時代など様々な事柄のリサーチを行い市場の欲求を探り商品を開発していく。消費者は生活をしていく上で生活向上の為になんらかの欲求が出て来てそれを満たす為に情報を収集する事を求める。提供者は消費者に商品を広く告知する為に情報提供をする。情報提供は市場への販売促進として広告媒体を利用する。販売促進で消費者が商品知識と商品知名度、企業知名度が向上する意図がある。

2ー2デザインとして
グラフィック・デザインはマーケティングを行う行程の中で販売促進あたる。マーケティングを行う事は市場を調査して企業意図を構築する。販売促進をする上でデザインはクライアントの企業意思と消費者の欲求を繋ぐパイプ役をはたすものである。デザインはクライアントの提供する商品の長所短所をリサーチし理解する。そして、消費者から得たリサーチからニーズを読み取り提供者と消費者の意図を読み取り、販売促進のコンセプトを立てる。コンセプトはクライアントの主旨が消費者へと理解し易く情報選択の段階で納得いける内容を伝えるのがパイプ役としてデザイナーの仕事である。
広告の歴史を紐解くと、行政が民衆へ広く告知するために御触書などをしたのが始まりと言われている。その時の告知は発信者の一方的な情報提供で受け手への情報はあまり慣用はしていなかった。フランス革命後、民主主義になり告知も発信者の一方的な情報で無く、受け手への賛同と指事をあおる様になった。産業革命からマニュファクチュアからオートメーション化された。資本主義の波が押し寄せる事によリ生産者と消費者の財政が潤い、物質的ニーズが大きくなってきた。デザインをしていく上で消費者のニーズに応えたコンセプトを考えるようになった。そして、コンセプトを伝える為にアイキャッチやビジュアルショックなどで大衆の目を引くデザインが多くなり、よりインパクトのある広告物がもてはやされた。現在は情報化が進みインターネットにより通信技術がより加速し、情報も大容量で高速化してきた。コンシューマーは欲求を満たす為に多くの情報を集め情報を選択する。情報を集めて選択すると言う行為はより情報が解り易く納得いく内容でなくてはいけない。消費者のアイデンティティにより情報が選択される。
3. IT時代の意味

3-1. I T時代の発端
インターネットの普及前にもマーケティング上オフィスコンピューター(オフコンと呼ばれている)の普及は拡大されていた。オフコンの普及は大量情報処理をする役割がある。情報を整理する意味であった。出力されたデータは整理された結果であり、そのデータは人間の判断で編集してきた。
アメリカでパソコン普及率は1990年代後半で50%以上になり、日本では20%になった。インターネットの接続率はアメリカで30%、日本で15%に達した。
2000年、前森主相により『IT革命』(Revolution of Information Technology)と言う言葉が反乱した。その一環として『インターネット博覧会』(俗に言う『インパク』)が行われた。当初2000年12月31日から2001年12月31日まで約1年間開催された。当初はインパクが開催された時はエンドユーザーのデータアナログ通信で最高58Kの送信量で画面一杯の静止画を見る為には情報としては長かった。そんな時代に『インパク』はアナログ回線を無視をしてADSL回線を想定されて作られたHP(ホームページ)が作られていたと思われます。現在でも日本のインターネット網は拡大と高速大量データ送信事業(光ファイバー)が進められている。しかし、インターネット網の届いていない地区や従来から建っているビル建築物などはIT砂漠と言われており、まだまだ未発展のところがあるのは現実である。現在の日本ではインターネットはブロードバンド(broadband=大量データ転送)としてADSLが普及しており動画を見たりする事が出来る。だが、テレビ番組の様にリアルタイムで情報を確認する事が出来なのが現実である。インターネット網も、地上波テレビ放送網ぐらい普及すればインターネット一般普及と言ってもいいだろう。

3-2.インターネット
私の経験ではインターネットのHPを見る時に画面上ではテキストが見えて、後からビジュアルが表示される。インターネットは新聞紙の発展最終メディアの形ではないであろうか。インターネット上の情報はテキストの内容が重大であり、ビジュアルはより理解しやすくするためのオブジェクトである。新聞メディアの様に流し読みをするようにインターネット上のHPも流し読みである。データを保存するにも新聞のスクラップ・ブックに匹敵する。

3ー3. IT時代での受けて
IT時代が訪れて、エンドユーザ、つまり消費者は洗濯機、車などの以前の生活水準の欲求はほぼ物質欲は満たされた思う。消費者は生活向上化を進め、自分のフィットした興味、趣味などの情報を求めてくる。そこで消費者は生活を向上化する為に雑誌やインターネットなどのメディアから情報を収集して選択する様になった。消費者の情報収集は自分の必要な情報だけを求めている。情報の選択出来る条件として、日本では義務教育をすぎた判断の出来る16歳以上を指します。消費者が収集した情報は長短所判断して自分自身の判断で合っている情報を選択する時代になった。情報の長所と言うのは情報のオブジェクトが消費者に理解しやすい情報で消費者の欲求を満たすものが受け入れやすい。現在の消費者の動向として最新の情報をどのようにして収集するのであろう。

4.情報というオブジェクト

4-1.受け手としての情報社会
現在コンセプト・デザインが主流の中に受けては一方的な説明を受けている。場合によればビジュアルが強烈でいらない情報すらも強引に情報の押しつけがある。大量情報社会から現在はIT=情報技術により、受け手は情報を貰うのでは無く情報を収集し、受け手自身が情報を選ぶ時代であるべきだ。情報選択時代になって、受け手はどのように情報を収集するのか、

そして、情報をどのように選ぶのかがキーワードになっている。情報の収集は受け手の欲求が行動に出る。先祖帰りではないが発信者の告知や予告などの情報などが情報収集の動機になっている。収集した情報には長短所を取り出しより良い長所を選択する。より良い情報とは理解しやすく納得出来るモノである。情報を選択する。選択するという事は理解しその情報には存在理由として意味がある。

4-2.送り手としての情報選択
デザインをするにあたり、情報を集める為にリサーチをする。リサーチにより情報はオブジェクトに成る。そして、編集によりテキストからビジュアルが進化したり突然変異をしたりする。また、逆にビジュアルがテキストになる時もある。編集作業をする時、制作者はより良いオブジェクトを選択するが、選択基準としてコンセプトを踏まえて長短所を見分けて選択する。この時にチョイスされなかったオブジェクトは短所で選択されないが、制作者のボキャボラリーが多ければ、正面から考えず側面や背面、上面など見方を変えれば考え方も変わる。そのオブジェクトは進化、突然変異の情報へと変貌する。
そして、デザイン・ワークをするにあたり情報としてのオブジェクトは2種類存在する。1つはテキスト情報でキャッチ・コピー、リード、本文、キャプションなどある。テキスト・オブジェクトは説明と説得の要素がある。そして、もう1つはテキストを補う為の解りやすく理解しやすくするためのビジュアル・オブジェクトがある。ビジュアルは理解しやすい図版、目の集中させる為のアイキャッチ、などの役割がある。双方は切っても切り離せない要素である。

結論

情報のオブジェクトは長短所が存在している。長所と短所は紙一重である。長短所はボキャボラリーが多いほど短所の価値が視点が変えられる事により短所の価値が長所へとひっくり返る。オブジェクトを他の見方、反対から見たり、逆さから見たりすればそれぞれ長短所が変わる。物理的ではないが情報のゴミを増やすという意味だけじゃなく、短所が長所に変化する事で情報の再確認につながる。例えばすべての情報が長所になった時は情報を選択する要素として選択されないが、次への情報として繋がる。
情報を伝える事で長所だけでは伝わらない。そのためには理解しやすい情報でなくてはならない。なぜならば、選択する方は長所を理解して納得しなければ存在させる理由に成らないからである。理解するという事は受け手の思考と情報が一致したという事に成る。
大量情報社会から情報技術社会へと変貌した事で受け手は選択する時代になったいく。受け手からの理解力する情報デザイン(Understanding Information Design)が求められる。